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國譯法句經(立花俊道譯)第 20 品 · 國譯

Dhammapada · 立花俊道

完整原文 · 文语国译Wikisource 國譯法句經 · 1918
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國譯法句經(立花俊道譯)文语国译完整原文 · 分页阅读

Dhammapada

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文语国译 · 国译品次
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c20
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18
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全经 438 稳定行段
责任者
立花俊道
正文语种
日文
权利
公有领域;署名 Wikisource、1918 年國譯大藏經與立花俊道
国译品次第 20 品 · 國譯
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忠实保留文语国译。1918 年国译品次、责任署名与公有领域来源边界保持不变。

273 (1)八道(だう)は道(みち)の最妙(さいめう)、(2)四句(く)は諦理(たいり)の最上(さいじやう)、離欲(りよく)は法(ほふ)の最勝(さいしよう)にして、(3)具眼者(ぐげんしや)は兩足中(りやうそくちう)の最尊(さいそん)なり。274 知見(ちけん)を淨(きよ)くするの道(みち)は此(こ)〔の道(みち)に〕外(ほか)ならず、汝等(なんぢら)是(こ)の道(みち)を踏(ふ)め、是(こ)れ魔(ま)を困惑(こんわく)するものなり。275 汝等(なんぢら)此(こ)の道(いち)を往(ゆ)けば、苦盡(くじん)に達(たつ)す、我(われ)は(4)除箭(ぢよせん)の〔法(ほふ)〕を知(し)りて、汝等(なんぢら)のために道(みち)を說(と)きたり。

276 汝等(なんぢら)のなすべきは努力(どりよく)なり、如來(によらい)は說者(せつしや)なり、禪思(ぜんし)の人(ひと)にして〔此(こ)の道(みち)を〕往(ゆ)くものは魔(ま)の縛(ばく)を脫(のが)る。277 「一切行(さいぎやう)は無常(むじやう)なり」と、智(ち)を以(もつ)て斯(かく)の如(ごと)く知(し)る時(とき)、苦界(くかい)嫌厭(けんをん)の情(じやう)起(おこ)る、是(こ)れ(5)淨(じやう)に入(い)るの道(みち)なり。278 「一切行(さいぎやう)は苦(く)なり」と、智(ち)を以(もつ)て斯(かく)の如(ごと)く知(し)る時(とき)、苦界(くかい)嫌厭(けんをん)の情(じやう)起(おこ)る、是(こ)れ淨(じやう)に入(い)るの道(みち)なり。

279 「一切法(さいほふ)は無我(むが)なり」と、智(ち)を以(もつ)て斯(かく)の如(ごと)く知(し)る時(とき)、苦界(くかい)嫌厭(けんをん)の情(じやう)起(おこ)る、是(こ)れ淨(じやう)に入(い)るの道(みち)なり。280 起(た)つべき時(とき)に起(た)たず、若(わか)く、强(つよ)くして、怠惰(たいだ)に陷(おちい)り、意志(いし)思想(しさう)弱(よわ)くして事(こと)に懶(ものう)きもの、斯(かか)る逸者(いつしや)は智(ち)の道(みち)を得(え)ず。281 語(ことば)を愼(つつ)しみ、意(い)を能(よ)く制(せい)し、身(み)に不善(ふぜん)を作(な)さず、此等(これら)の三を業道(ごふだう)より淨除(じやうぢよ)せば、諸大仙(しよだいせん)の說(と)き給(たま)へる道(みち)を得(え)ん。

282 應念(おうねん)より智慧(ちゑ)生(しやう)じ、不應念(ふおうねん)なれば智慧(ちゑ)滅(ほろ)ぶ、此(こ)の有(う)と非有(ひう)と、二種(しゆ)の道(みち)を知(し)りて、智慧(ちゑ)の增(ま)すが如(ごと)く、然(しか)く己(おのれ)を處(しよ)せよ。283 (6)〔煩惱(ぼんなう)の〕林(はやし)を伐(き)れ、單(ひと)り樹(じゆ)を〔伐(き)る〕勿(なか)れ、林(はやし)よりは危難(きなん)來(きた)る、林(はやし)と下生(したばえ)とを伐(き)らば、比丘等(びくら)、煩惱(ぼんなう)の林(はやし)なき人(ひと)とならん。284 男子(なんし)の女子(によし)に對(たい)する煩惱(ぼんなう)、些(すこし)にても斷(た)たれざる所(ところ)あらば、彼(かれ)の心(こころ)は尙(な)ほ囚(とら)はる、乳(にう)を貪(むさぼ)る犢(こうし)の母牛(ぼぎう)に於(お)けるが如(ごと)くに。

285 自己(じこ)の愛念(あいねん)を斷(た)つこと、牛(ぎう)を以(もつ)て秋時(しうじ)の蓮(はす)を〔折(を)る〕が如(ごと)くし、善逝(ぜんざい)の說(と)き給(たま)ひし(7)寂靜(じやくじやう)の道(みち)、涅槃(ねはん)を增長(ぞうちやう)せよ。286 「此處(ここ)に雨時(うじ)を過(すご)さん、寒暑(かんしよ)の閒(あひだ)、此處(ここ)に〔住(ぢゆう)せん〕」と、愚人(ぐじん)は斯(か)く思惟(しゆゐ)して死(し)の近(ちかづ)くことを覺(さと)らず。287 兒(こ)や畜(ちく)の愛(あい)に溺(おぼ)れ、樂(らく)に耽(ふけ)るものを、死王(しわう)の拉(らつ)し去(さ)ること、眠(ねむ)れる村里(そんり)を大水(だいすゐ)の漂(ただよ)はし去(さ)るが如(ごと)し。

288 兒(こ)も、父(ちち)も、親族(しんぞく)も恃怙(じこ)にあらず、死王(しわう)に囚(とら)へられたるものには親族(しんぞく)も恃怙(じこ)たらず。289 戒(かい)によりて自(みづか)ら制(せい)せる賢者(けんしや)は、此(こ)の意(い)を知(し)りて、涅槃(ねはん)に赴(おもむ)く道(みち)を疾(と)く疾(と)く淸(きよ)くせよ。註 (1) 八正道を云ふ。 (2) 四聖諦の謂なり。 (3) 佛を云ふ。 (4) 欲等の箭を除くの法。 (5) 淨とは涅槃の謂なり。以下三偈皆同一の意に見よ。 (6) 天然の林間に猛獸毒蛇等の危險あるが如く、貪瞋癡煩惱の林にも種種の危難あり、由りて煩惱を林に譬へたるなり、或は Vana(ヴナ) (林) Vanatha(ヴナタ) (下生)には共に又煩惱、欲等の意あり、三四四偈參照。 (7) 或は、寂靜の道を增長せよ、涅槃は善逝の說き給ひし所なり。

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书目关系边界:國譯法句經/巴利法句:立花俊道 1918 年《國譯法句經》是巴利《法句》423 偈(雙雙品=Yamakavagga)的文語國譯/訓讀體日文,不是漢譯 T210 的訓讀。掛接既有作品 gbcr:work:dhammapada-pali,不另建作品,也不把國譯等同佛陀逐字親說。 法句文本家族/T210 平行:漢譯 T210(gbcr:work:dharmapada-t0210,39 品)與巴利 Dhp 同屬 gbcr:text-family:dhammapada。本表達記錄該家族平行,不與 T210 逐偈對齊,也不合併或新建作品。

归属边界:1918 年公有领域文语国译;挂接已持有巴利法句,不另建作品,也不把国译等同佛陀逐字亲说。署名 Wikisource、1918 年國譯大藏經與譯者立花俊道。汉译 T210 只记家族平行,不逐偈对齐。