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國譯法句經(立花俊道譯)第 1 品 · 國譯

Dhammapada · 立花俊道

完整原文 · 文语国译Wikisource 國譯法句經 · 1918
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Dhammapada

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文语国译 · 国译品次
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全经 438 稳定行段
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立花俊道
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日文
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国译品次第 1 品 · 國譯
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忠实保留文语国译。1918 年国译品次、责任署名与公有领域来源边界保持不变。

彼(か)の祥者(しやうしや)、尊貴者(そんきしや)、正遍覺者(しやうへんかくしや)に歸命(きみやう)す1 諸法(しよほふ)は心(こころ)に導(みちび)かれ、心(こころ)に統(す)べられ、心(こころ)に作(つく)らる、〔人(ひと)〕若(も)し汙(けが)れたる心(こころ)を以(もつ)て、言(ものい)ひ且(か)つ行(おこな)はば、其(それ)よりして、苦(く)の彼(かれ)に隨(したが)ふこと、車輪(しやりん)の、之(これ)を挽(ひ)けるものの跡(あと)に〔隨(したが)ふ〕が如(ごと)し。2 諸法(しよほふ)は心(こころ)に導(みちび)かれ、心(こころ)に統(す)べられ、心(こころ)に作(つく)らる、〔人(ひと)〕若(も)し淨(きよ)き心(こころ)を以(もつ)て、言(ものい)ひ且(か)つ行(おこな)はば、其(それ)よりして、樂(らく)の彼(かれ)に隨(したが)ふこと、猶(なほ)影(かげ)の〔形(かたち)を〕離(はな)れざるが如(ごと)し。

3 「〔彼(かれ)〕我(われ)を罵(ののし)れり、打(う)てり、敗(やぶ)れり、笑(わら)へり」と、斯(かか)る思(おもひ)を抱(いだ)けるものは、其(そ)の怨(うらみ)解(と)くることなし。4 「〔彼(かれ)〕我(われ)を罵(ののし)れり、打(う)てり、敗(やぶ)れり、笑(わら)へり」と、斯(かか)る思(おもひ)を抱(いだ)かざるものは其(そ)の怨(うらみ)解(と)く。5 此(こ)の世(よ)に於(おい)て怨(うらみ)は怨(うらみ)を以(もつ)てしては終(つひ)に解(と)くべからず、愛(あい)を以(もつ)てぞ解(と)くべき、これ(1)永劫(えいごふ)不易(ふえき)の法(ほふ)なり。

6 「我等(われら)は此處(ここ)に(2)滅(ほろ)ぶるものなり」と、(3)愚者(ぐしや)は之(これ)を覺(さと)らず、人(ひと)若(も)し之(これ)を覺(さと)れば、其(それ)よりして爭(あらそひ)息(や)む。7 (4)淸淨觀(しやうじやうくわん)を抱(いだ)きて住(ぢゆう)し、(5)諸根(しよこん)を攝(せつ)することなく、飮食(おんじき)に於(おい)て量(りやう)を辨(べん)ぜず、怠惰(たいだ)にして、精勤(しやうごん)足(た)らざる者(もの)、魔王(まわう)の斯(かか)る人(ひと)を動(うご)かすこと、猶(な)ほ風(かぜ)の弱(よわ)き樹(き)を〔動(うご)かす〕が如(ごと)し。8 不淨觀(ふじやうくわん)を抱(いだ)きて住(ぢゆう)し、諸根(しよこん)を攝(せつ)し、飮食(おんじき)に於(おい)て量(りやう)を辨(べん)じ、信心(しんじん)あり、精勤(しやうごん)なるもの、魔王(まわう)の斯(かか)る人(ひと)を動(うご)かすことなき、猶(な)ほ風(かぜ)の石山(せきざん)に於(お)けるが如(ごと)し。

9 人(ひと)にして煩惱(ぼんなう)なきものこそ、黃色(わうじき)の衣服(えぶく)を著(つ)くべけれ、調御(でうご)なく、實語(じつご)なきもの、彼(かれ)に黃衣(わうえ)は相應(ふさは)しからず。10 旣(すで)に諸(もろもろ)の(6)漏(ろ)を棄(す)て、善(よ)く戒(かい)に安住(あんぢゆう)し、調御(でうご)あり實語(じつご)あるもの、彼(かれ)にこそ黃衣(わうえ)は相應(ふさは)しけれ。11 (7)非精(ひせい)に於(お)いて(7)精(せい)の思(おもひ)をなし、精(せい)の上(うへ)に非精(ひせい)を見るもの、此等(これら)(8)邪思境(じやしきやう)の人(ひと)は、〔遂(つゐ)に〕精(せい)を得(う)ることあらじ。

12 精(せい)を精(せい)として知(し)り、非精(ひせい)を非精(ひせい)として知(し)る、此等(これら)(8)正思境(しやうしきやう)の人(ひと)こそ、精(せい)に達(たつ)するを得(う)べきなれ。13 惡(わる)く葺(ふ)きたる屋舍(をくしや)は、雨(あめ)の之(これ)を侵(をか)すが如く、修練(しゆれん)せざる心(こころ)は愛欲(あいよく)之(これ)を侵(をか)す。14 善(よ)く葺(ふ)きたる屋舍(をくしや)は、雨(あめ)の之(これ)を侵(をか)すことなきが如(ごと)く、修練(しゆれん)したる心(こころ)は愛欲(あいよく)の之(これ)を侵(をか)すことなし。

15 此處(ここ)に憂(うれ)ひ、來(きた)る世(よ)に憂(うれ)ひ、惡(あく)を作(な)すものは兩處(りやうしよ)に憂(うれ)ふ、彼(かれ)は憂(うれ)ひ彼(かれ)は悲(かなし)む、己(おのれ)の汙(けが)れたる業(ごふ)を見(み)て。16 此處(ここ)に喜(よろこ)び、來(きた)る世(よ)に喜(よろこ)び、福(ふく)を作(な)せるものは兩處(りやうしよ)に喜(よろこ)ぶ、彼(かれ)は喜(よろこ)び彼(かれ)は悅(よろこ)ぶ、己(おのれ)の淨(きよ)き業(ごふ)を見(み)て。17 此處(ここ)に苦(くるし)み、來(きた)る世(よ)に苦(くるし)み、惡(あく)を作(な)すものは兩處(りやうしよ)に苦(くるし)む、「われ惡業(あくごふ)を犯(をか)せり」とて苦(くるし)み、惡趣(あくしゆ)に陷(おちゐ)りて益益(ますます)苦(くるし)む。

18 此處(ここ)に歡(よろこ)び、來(きた)る世(よ)に歡(よろこ)び、福(ふく)を作(な)せるものは兩處(りやうしよ)に歡(よろこ)ぶ、「我(われ)福業(ふくごふ)を作(な)せり」とて歡(よろこ)び、善趣(ぜんしゆ)に生(うま)れて益益(ますます)歡(よろこ)ぶ。19 (9)佛語(ぶつご)を讀誦(どくじゆ)すること多(おほ)しと雖(いへど)も、放逸(はういつ)にして之(これ)を行(おこな)ふことなくば、牧者(ぼくしや)の他人(たにん)の牛(うし)を算(かぞ)ふるが如(ごと)く、(10)沙門道(しやもんだう)に於(おい)て得(う)る所(ところ)なし。20 佛語(ぶつご)を讀誦(どくじゆ)すること少(すくな)しと雖(いへど)も、正法(しやうほふ)の隨法(ずゐほふ)行者(ぎやうしや)たり、貪(とん)と瞋(しん)と又(また)癡(ち)とを棄(す)て、正智(しやうち)あり、心(こころ)よく解脫(げだつ)せるものは、此(こ)の世(よ)彼(か)の世(よ)に著(ぢやく)なくして、(11)沙門道(しやもんだう)に達(たつ)すべし。

註 (1) 原語には「古」の意もあり、法句經註解書には「古の法、總ゆる佛、辟支佛、漏盡の聲聞の踏みたる道」と釋せり。 (2) Yamāmase 閻魔王の爲に服せらる、死に近く、死に行く、消え果つ等の意もあり、 (3) 原典にては「他」の字を用ひ、「智者を除きて他のもの」と釋す。 (4) 見聞し知覺する物體に對して莊美なり淸淨なり愛すべきものなり等の觀念を抱くを云ふ。 (5) 眼耳鼻舌身意の六根を制せず、此等諸根の門戶を護らざるを言ふ。 (6) 漏とは煩惱の謂なり。 (7) 「精」とは「精髓、中樞、要部」等の義なり、「非精」とは之に反して、緊要ならざる部分なり。 (8) 「邪思惟」又は「正思惟」を其の分別の「境界」、範圍とするの意なり。 (9) 原語には、有義、有利等の義あり、佛の說かれたる敎を言ふ。 (10) 「沙門道の分得者にあらず、」 (11) 涅槃に達するを言ふ。

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Wikisource 國譯法句經 · 1918
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书目关系边界:國譯法句經/巴利法句:立花俊道 1918 年《國譯法句經》是巴利《法句》423 偈(雙雙品=Yamakavagga)的文語國譯/訓讀體日文,不是漢譯 T210 的訓讀。掛接既有作品 gbcr:work:dhammapada-pali,不另建作品,也不把國譯等同佛陀逐字親說。 法句文本家族/T210 平行:漢譯 T210(gbcr:work:dharmapada-t0210,39 品)與巴利 Dhp 同屬 gbcr:text-family:dhammapada。本表達記錄該家族平行,不與 T210 逐偈對齊,也不合併或新建作品。

归属边界:1918 年公有领域文语国译;挂接已持有巴利法句,不另建作品,也不把国译等同佛陀逐字亲说。署名 Wikisource、1918 年國譯大藏經與譯者立花俊道。汉译 T210 只记家族平行,不逐偈对齐。