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國譯法句經(立花俊道譯)第 19 品 · 國譯

Dhammapada · 立花俊道

完整原文 · 文语国译Wikisource 國譯法句經 · 1918
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國譯法句經(立花俊道譯)文语国译完整原文 · 分页阅读

Dhammapada

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文语国译 · 国译品次
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c19
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16
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全经 438 稳定行段
责任者
立花俊道
正文语种
日文
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公有领域;署名 Wikisource、1918 年國譯大藏經與立花俊道
国译品次第 19 品 · 國譯
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忠实保留文语国译。1918 年国译品次、责任署名与公有领域来源边界保持不变。

256 人(ひと)の暴(ばう)を以(もつ)て事(こと)を決(けつ)する、彼(かれ)之(これ)によりて法住(ほうふぢゆう)の人(ひと)たるにあらず、正(しやう)も邪(じや)も共(とも)に能(よ)く決(けつ)するものは賢者(けんしや)なり。257 暴(ばう)ならず、法(ほふ)により、平等(びやうどう)に他(た)を導(みちび)き、法(ほふ)に護(まも)らるる智者(ちしや)、〔彼(かれ)ぞ〕法住(ほふぢゆう)の人(ひと)と稱(とな)へらる。258 〔人(ひと)の〕多(おほ)くを語(かた)る、〔彼(かれ)〕之(これ)によりて賢者(けんしや)たるにあらず、堪忍(かんにん)あり、怒(いかり)なく、恐(おそれ)なき〔もの、彼(かれ)ぞ〕賢者(けんしや)と稱(とな)へらる。

259 〔人(ひと)の〕多(おほ)くを語(かた)るも未(いま)だ持法者(じほふしや)たるにあらず、法(ほふ)を聞(き)くこと尠(すこ)しと雖(いへど)も、身(み)にて之(これ)を(1)見(み)、法(ほふ)を等閑(とうかん)にすることなくば、彼(かれ)こそ法(ほふ)の護持者(ごじしや)なれ。260 〔人(ひと)の〕頭(かうべ)の白(しろ)き、〔彼(かれ)は〕之(これ)によりて長老(ちやうらう)たるにあらず、斯(かく)の如(ごと)きは、壽(じゆ)熟(じゆく)して、空(むな)しく老(お)いたる人(ひと)と稱(とな)へらる。261 人(ひと)に諦(たい)と・法(ほふ)と・愛(あい)と・自約(じやく)と、自調(じてう)とあり、此(こ)の垢穢(くうぇ)を除(のぞ)きたる此(こ)の賢者(けんしや)こそは長老(ちやうらう)と稱(とな)へらるれ。

262 唯(ただ)言語(げんご)ありとも、又(また)美(うつく)しき形色(ぎやうしき)ありとも、嫉(しつ)、慳(けん)、誑心(わうしん)あらば、人(ひと)は善貌(ぜんばう)のものにあらず。263 此(こ)の惡(あく)を斷(た)ち、根絕(こんぜつ)し盡(つく)して、此(こ)の瞋恚(しんい)を除(のぞ)きたる智者(ちしや)こそは善貌(ぜんばう)の人(ひと)と稱(とな)へらるれ。264 自制(じせい)なくして、妄語(まうご)を語(かた)らば、髮(かみ)を剃(そ)るとも沙門(しやもん)にあらず。〔人(ひと)若(も)し〕欲貪(よくとん)あらば、奈何(いか)でか沙門(しやもん)たり得(う)べき。

265 人(ひと)若(も)し總(すべ)て大小(だいせう)の惡(あく)を制(せい)せば、〔彼(かれ)は〕諸惡(しよあく)を制(せい)せるによりて、沙門(しやもん)と名(なづ)けらる。266 (2)他(た)に〔食(じき)を〕乞(こ)ふが故(ゆゑ)に比丘(びく)たるにあらず、一切(さい)の法(ほふ)を學(まな)ぶも尙(な)ほ未(いま)だ比丘(びく)にあらず。267 罪業(ざいごふ)福業(ふくごふ)共(とも)に捨(す)てて、淸淨行(しやうじやうぎやう)の人(ひと)たり、智慧(ちゑ)を以(もつ)て世界(せかい)を渡(わた)るもの、彼(かれ)ぞ比丘(びく)と稱(しよう)せらる。

268–269 寂默(じやくもく)なりとも、愚(ぐ)にして智(ち)なくば牟尼(むに)にあらず、(3)權衡(けんかう)を取(と)るが如(ごと)く、(4)勝法(しようほふ)を取(と)り、邪業(じやごふ)を捨(す)つる牟尼(むに)は、彼(かれ)之(これ)によりて牟尼(むに)なり、人(ひと)若(も)し世(よ)の(5)兩事(りやうじ)共(とも)に知(し)らば、彼(かれ)之(これ)によりて牟尼(むに)と稱(とな)へらる。270 生命(せいめい)を害(そこな)ふが故(ゆゑ)に(6)聖(しやう)なるにあらず、一切(さい)生類(しやうるゐ)を害(そこな)はざるが故(ゆゑ)に聖者(しやうしや)と名(なづ)けらる。271–272 (7)戒禁(かいきん)によりても、又(また)(8)多聞(たもん)によりても、又(また)は得定(とくぢやう)、獨臥(とくぐわ)によりても、聖者(しやうしや)の享(うく)べき出離(しゆつり)の樂(らく)に觸(ふ)るることなし、比丘(びく)、漏盡(ろじん)に達(たつ)するなくして自恃(じぢ)すること勿(なか)れ。

註 (1) 僅にても聞きては、法に隨ひ、義に隨ひ、大法小法の依行者となり、身に苦等を知りて、四聖諦を見ると解せり。 (2) 比丘には種々の義あれど、中に乞人、乞士等と譯し、他に食を乞ふものゝ義ありとなす。 (3) 權ははかり、衡はおもりなり、權衡を取りて物を量らんとするものは、多きに過ぐれば取去り、少ければ更に加ふ、惡を棄てて善を取るも亦斯の如し。 (4) 勝法とは戒定慧解脫解脫智見を云ふ、此の蘊等の世界に於て、衡を擧げて度るが如く、此等は內蘊なり、此等は外蘊なり等、斯の如の法により、兩義共に量るを云ふ。 (5) 內外上下等の別を知るの意。 (6) 聖者の原語、Ariya(アリヤ) の aria には「敵」の意あり、故に生命を害ふ云云と云ふ。 (7) 四作淨戒又は十三頭陀行を行ふを云ふ。 (8) 三藏學を習するを云ふ。

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Wikisource 國譯法句經 · 1918
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书目关系边界:國譯法句經/巴利法句:立花俊道 1918 年《國譯法句經》是巴利《法句》423 偈(雙雙品=Yamakavagga)的文語國譯/訓讀體日文,不是漢譯 T210 的訓讀。掛接既有作品 gbcr:work:dhammapada-pali,不另建作品,也不把國譯等同佛陀逐字親說。 法句文本家族/T210 平行:漢譯 T210(gbcr:work:dharmapada-t0210,39 品)與巴利 Dhp 同屬 gbcr:text-family:dhammapada。本表達記錄該家族平行,不與 T210 逐偈對齊,也不合併或新建作品。

归属边界:1918 年公有领域文语国译;挂接已持有巴利法句,不另建作品,也不把国译等同佛陀逐字亲说。署名 Wikisource、1918 年國譯大藏經與譯者立花俊道。汉译 T210 只记家族平行,不逐偈对齐。